災害に学ぶ

災害から身を守る意識の備え『稲むらの火』に学ぶ

『稲むらの火』は昔の日本人の実話で、災害時の避難について多くを教えてくれます。

メディアが発達しておらず防災グッズもない昔に、どうやって命を守る行動をしたのか参考になります。

時代が変わっても変わらない『避難三原則』についてご紹介しています。

稲むらの火の教え

稲むらの火とは

1854年、安政南海地震による大津波の際、村の濱口儀兵衛(のちの濱口梧陵)さんが稲わらに火をつけ、暗やみで逃げおくれていた村人を、安全な高台へとみちびき助けた実話です。

地震・津波教訓

1回目の地震では被害は少ないでしたが、次の日村人が井戸の水が枯れていることに気づきました。

その日の夕方2回目の大地震が来て津波が発生しました。 梧陵さんが灯した稲わらの火に導かれ多くの村人が避難を終えたその時、1番大きな津波が押し寄せその火も消えました。

井戸の水など、自然の異変に気づく大切さを教えてくれていますよね。現代ではメディアや人に頼りがちですが、自分でも見て考え判断することが大切です。

余震や津波が繰り返し来ることは現代では常識となっていますが、あの時代では想定外だったはずです。

率先避難者

梧陵さんは波にのまれながらも必死で村人たちに避難を呼びかけました。「にげろ!丘にあがれ!津波が来たぞ!」

自分も被害に合いながら、混乱する村人たちに避難を勧める冷静さと余裕がすごいですよね。

すばやい判断と行動力

梧陵さんは、暗やみでどこへ逃げればいいのかわからずさまよっている人がいるにちがいないと考え、とっさに、「そうだ。もったいないが、あの丘の稲むらに火をつけよう」と稲の束に火をつけたのです。

常に考え、その状況での最善を判断し、行動にうつしているんですよね。

助け合うことの大切さ

災害後も、梧陵さんは自分の財産を投じて村人たちのために住まいを建て、堤防をつくるなど村の復興に力をそそぎました。

その堤防は1946年の昭和南海地震のときに、村の大部分を津波から守りました。

避難三原則

釜石の奇跡

東日本大震災での『釜石の奇跡』では、避難三原則が実践され多くの命が救われました。

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避難三原則

  • 想定にとらわれるな
  • 最善を尽くせ
  • 率先避難者たれ

時代が変わっても変わらない

1854年の『稲むらの火』、2011年の『釜石の奇跡』。時代が変わっても避難三原則は変わりませんね。

大切なのは身を守る意識の備え

命を守るのにもっとも大切なのは、災害から身を守る意識を備えることですね。今の時代は便利な物もたくさん備えられますね。

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まとめ

  • 災害では、落ち着いて避難三原則を実践しましょう
  • 災害に備える心づもりが大切
  • 古き良き日本人の助け合いの心を大切にしたいですね

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